出会いツナがるレポート

心に残る出会いの体験談を集めています。

海外の離婚で一人になった私が出会った白人男性とマサカの展開に。

 

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語り手プロフィール
33歳 女性 海外のある国で仕事をしていました。離婚後1年くらいたった頃で、経済的にはまだまだ苦しかった時期ですが、ようやく再独身生活に慣れ始めた頃でした。
 
出会った相手のプロフィール
31歳 男性 同じ都市にある、大規模会計事務所に勤務。現地の白人男性で、日本語を猛特訓中でした。 

 

出会いストーリー

海外の離婚で路頭に迷う24歳

24歳でした最初の結婚は8年後離婚で幕を閉じました。離婚の際慰謝料等お金のやり取りは一切ありません。ですので、結婚していた頃小遣い稼ぎ程度のパートをしていただけの私は、文字通り路頭に迷ってしまいました。海外に住んでいたので、両親の家に身を寄せることもできませんでした。しばらくは友人の家を転々としながら、就職活動をしていました。

幸い、離婚後まもなく良い仕事が見つかり、アパートを借りて、数か月後には通勤用の車も購入しました。半年もたつと仕事に慣れ、同僚ともうまく付き合えるようになりました。離婚のことで傷ついていた私には、この仕事が心の支えでもありました。真面目に仕事に取組み、正社員として採用してくれることにもなり、一度つまづいてしまった私の人生がだんだん調子を取り戻してきたころです。

 

流暢な日本語で声をかけられ


ある日午前中の勤務を終え、お昼ご飯を食べに階下の食堂へ向かっていた階段の途中で、「Nさんでしょ?」という声が聞こえました。そもそも日本人をめったに見かけない地域だし、このオフィスビルの中の日本人はもちろん私一人だったので、日本語を聞いてびっくりしてしまいました。あたりを見回すと、階段の上の方に一人の男性がたっていました。背が高くて、スーツをオシャレに着こなしたイケメンの若い男性です。「私は会計監査でAという会社から来ているWと申します。従業員のリストを見てて、日本人がいるとわかり、Nさんのこと探しちゃった。」なんて言ってきました。
白人男性が、しかもこの国の方がなんとも流暢に日本語を話すので、状況を把握する前に、驚きの気持ちでいっぱいでした。「週末にコーヒー飲みに行きませんか。日本語ではなしがしたいな」などと、今あったばかりの私を誘ってきました。離婚して日も浅かったけど、ハンサムに弱い私です。きっと私より年下だろうけど、こんな素敵な子に誘われて、断る理由は見つかりませんでした。

 

まさかの急展開!

 

土曜日の朝、いつもより念入りに髪をブローして、化粧もしてウキウキと待ち合わせのコーヒーショップへ向かった私。彼は10分ほど遅れてきましたが、カジュアルスタイルも自然に着こなしている見栄えのいい彼です。遅刻なんて全然気になりませんでした。どんな人かも知らないのに、恋に発展するのかな、なんて勝手に考えていました。


おいしいコーヒーを飲みながら、話はかなり弾みました。お互いの家族のことや、仕事のこと、今までした旅行のことなど、かなり長い時間話をして、本当に楽しかったのです。こんな彼となら、楽しくやっていけるだろうな、と図々しくも思い始めていました。しかし、もうそろそろ帰ろうか、となった頃突然W君が言うのです。「僕オカマです。日本語でもゲイっていうかな」とんでもない発言でした。


えー、恋に落ちたらどうしようとか思ってたのにー。私はかなりがっかりしましたが、勤勉そうなのに心底明るく、繊細で心の優しい彼を嫌いになんてなれません。「また来週もあおうね」と別れ際に次の約束をしました。ここから恋に落ちるはずだった、女性に興味のない男性とのフレンドシップが始まったのです。週末はお茶を飲みに行ったり、彼の家に遊びに行ったり、他の子も誘ってお出かけをしたり。彼のおかげで私の人生は再び明るくなりました。彼とはプライベートなことや、恋の悩みについてもたくさん話し合ったし、まるで姉と弟のような関係になりました。
その後私は再婚して、新しい夫の住むイギリスへ引っ越してしまったのですが、なんとW君もロンドンへ転勤となったのです。もちろん、時間を作っては彼に会いに行きました。


その数年後、我々夫婦は日本へ住もうと決めました。それでも偶然は重なります。W君は昇進が決定し、上のポジションにつくためのトレーニングとして日本へ転勤となったのです。もちろん彼が時間のある時は、今でも会って近況を話したりします。
弟と言おうか、幼なじみと言おうか、私にとっては大切な、自慢の親友です。